いつ勉強した?アメフト学部アメフト学科へ(本当の専攻は心理学部)

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大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

大学時代、何をしていたかと聞かれたら

これしか答えられません。アメフト。

なんとか、浪人の1年間を経て

大学に入学できた僕。

 

専攻は心理学部。勉強はもちろんのこと、

大学生たるもの、普段の生活も充実させたい!

という思いから、サークルや部活の新入生募集のポスターをくまなくみてみる。

 

高校時代はアメフト部だったものの、

浪人してお肌真っ白、体はひょろひょろ、友達はいないそんな僕に

新入生歓迎会の際、だれが声をかけてくれるでしょうか。

案の定、誰も声をかけてくれる人はいませんでした。

 

勇気を出してアメフト部の勧誘ブースに行き、入部したいことを伝えると、

この子、大丈夫か?

という強烈な視線を浴びせられたことを覚えています。

 

その当時、59キロだった体重。

同じポジションの先輩たちは皆70キロから85キロで、僕の第一目標は

体を大きくすること

でした。

 

1年次からも活躍する同期を横目に、ひたすら

ウェイトトレーニングと、練習を積み重ね、

1年間で体重71キロの12キロ増。

 

大学4年生のときには75キロまで増え、

心身ともにたくましくなったと思います。笑

 

中学校、高校時代の友達からも

おっきくなったねぇ

と、よく言われました。

 

4年間はひたすらアメフト漬けの毎日でした。来る日も来る日もアメフト。

ほんと辛すぎて、毎日逃げ出したかったです。

 

ただ、努力の甲斐もあってか、

2年生の時にはほぼスターティングメンバーの仲間入り。

4年生のときには選手としてプレーする傍ら、チームの運営でもある

主務も務めました。

 

実際同期は皆年齢的に一つ下、今となってはあんまり意味をなしませんが、

当時はこの年齢が一つ上ということも加味されて、主務に選ばれたのかもしれません。

 

ただこの業務、これが色々しんどくて、

大学公式のイベントや、父母会などでの司会

親御さんとのお付き合いなどもちょくちょくあり、

何の役職も無い同期を羨ましく思ってました。

(しかし主務とはほぼ名ばかりで、チームの運営はほとんどマネージャーに任せ、

公の舞台では僕が喋る、といった具合でした)

 

一方、学業では浪人時代の真面目さも相まって、成績はそこそこでした。

 

また、小学生の時に不登校だったこともあり、

不登校だった小学校時代

スクールカウンセラーになるべく、心理学専攻の道を歩みました。

 

アメフト部の練習をほぼ毎日行いながら、週に1回ある休みの日に

図書館で真面目に課題に取り組むといった、地味~~~~な生徒でした。

その甲斐もあって、ゼミの中でも1,2を争う成績優秀者でした(自慢)

 

また大学時代に、一番上の姉がバックパッカーで世界を飛び回っていたことを近くで見ており、

なんとなく自分も海外に行ってみたいなぁ、

と思うことが多くなりました。

 

姉は2年間ほど仕事した後、退職しバックパッカーで世界を旅する冒険家の道へ。

当時の僕からすると

いい年して何してんのやら

と、斜に構えて見ていたのと同時に、羨ましくも思っていました。

 

たまに帰ってくると、外国の方も連れて来たりして、

拙い英語で会話していたことを思い出します。

 

僕の英語力なんて、所詮大学受験英語レベル

読み書きはできても、それを実際に口に出して話すということは

到底できませんでした。

 

発音も超が付くほど、日本人。

あいうぉんととぅーごーふぉれいんかんとりー

(I want to go to foreign country. 海外に行きたい!)

を伝えるのがやっとでした。

 

でも本当にその時の経験が今の原点かなーとも思います。

今まで日本に生まれ、日本で育ってきた20数年間に、

海外という新しい刺激が入り、

海外で住んでみたい!働いてみたい!生活してみたい!

と強く思うきっかけになりました。

 

そこで、就職活動は大学時にできなかった

留学したい!

という気持ちと

 

体育会系アメフト部なら

商社!

という偏った考えから(本当にアメフト部の人で商社受ける人いっぱいいた)、

商社を片っ端から面接。

 

体育会系のアメフト部で商社

という肩書が面接官の目に止まり、

見事、1社から内定をもらいそこで、6年間勤務することに。

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