不登校だった小学校時代

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不登校

大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

不登校だった小学校時代を

赤裸々に語っていきます。

地元近くの保育園を卒園した僕は、地元の公立小学校へ。

 

しかし、保育園が学区外で保育園からの友達がいなかったこと、

超がつくほど、内向的な性格も相まって見事不登校児となりました。

また、姉二人は超がつくほど活発。面白いくらい正反対な姉弟関係でした。笑

 

当時はまだ、不登校がそこまで世に広まっていない、知られていなかったこともあり、

親からは

「学校に行きなさい!」

と口酸っぱく言われていましたが、

玄関で泣き続け、我慢比べに勝利すれば、親が学校に電話し

「すみません、体調悪くてお休みします」

と伝えていました。

逆に、我慢比べに負ければ嫌々、学校に行くという生活を小1の夏休みぐらいまで続けていました。

また、登校時間を過ぎても、泣き虫大樹VS母の戦いが続き、僕が学校に行くことを決心すれば、

母親が自転車の後ろに乗せ学校に行くということをしていました。

 

でも同級生に見られるのが嫌で、学校の近くまで降ろしてもらい

そこからは自力で泣きじゃくりながら歩いて通ってました。

そんなこんなで、小1の夏休み前まで、3分の1くらいは学校を休んでいました。

 

しかし夏休みが過ぎ、全然学校に行ってなかった僕は、本格的に学校に行くことが嫌になり

毎日登校する時間に泣き続け、本格的に僕の不登校生活がスタートしました。

 

そして、内向的な大樹は小1から小3までほぼ引きこもり。ほとんど学校休んでいました。

たまーに行く学校も保健室に登校、保健室にいる間、他の不登校仲間とずーっと喋ったり、

中庭や学校の裏手でクラスの皆にバレないように遊んだりしていました。

 

気をつけていたことは日直がいつも保健室に出席簿を提出しに来るので、

名前も顔も分からないクラスメイトに会わないようにその時間帯は

保健室のベットか、保健室の準備室にずーっといました。

出席簿には担任の先生が欠席理由を書きます。例えば、

「〇〇君、腹痛」

など。

ただ、小2の頃の先生は不登校児のことをあまり良く思っておらず、ずっと

「大樹君、?」

と書かれていていました。不登校児の僕ですが、

プライドだけは高く

「保健室に来てるのに欠席になるのは、おかしい!」

と、怒っていました。笑

 

そんな僕にも転機が訪れます。それは、2年に1度のクラス替えです。

小3のときに、あるクラスメイトに半ば強引に教室に連れて行かれ、

半べそになりながら、通っていました。

 

最初は嫌々行っていたのですが、帰りの道も途中まで一緒だったので

教室に連れて行かれた日は彼と一緒に帰ることが多くなりました。

活発で、クラスの中心的人物だった彼と過ごすことが多くなった僕は

次第に学校に行けるようになります。

 

しかし、ろくに勉強していなったので、授業のスピードについていけなかったものの、

周りの子も先生も配慮してくれ、徐々にクラスに馴染んでいきました。

 

小3の途中からは徐々に学校に行けるようになり、

小4からはたまに保健室登校だったものの、ほとんどはクラスの授業に参加し、

小5からは普通に登校できるようになりました。

(当たり前かもしれませんが、自分にとっても、

家族にとっても大きな進歩だったと思います・・・!)

 

小5のときのクラス替えで

「また彼と同じクラスになりますように!」

と何度祈ったことか・・・!

結局、学校側も考慮してくれたのか、彼とは同じクラスになり

小5から小6まで他の子と比べても変わらない、普通の小学校生活を送ります。

 

最後はクラスを代表して、卒業証書の受理したことを覚えています!

(めちゃめちゃ緊張した~)

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