台湾駐在で学んだ3つのこと

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taiwan

大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

社会人編、後半!

(前半はこちら → ダメダメ営業マン時代 )

やっとの思いで海外駐在員となることが大樹。

台湾で 学んだ3つのこととは?

 

海外駐在が実現となった僕は、台湾に赴任することに。

初めての海外生活、海外での仕事に

ワクワクとドキドキが半分ずつでした。

 

台湾で仕事となれば、支社で働く方々の9割以上が

ローカルスタッフの台湾人。

 

台湾赴任初日に自己紹介で喋れたのはこれだけ。

大家好,我是大樹. 請多多指教.

Dàjiā hǎo, wǒ shì dàshù. Qǐng duōduō zhǐjiào.

みなさん、こんにちは。大樹です。よろしくお願いします。

 

本当に全く喋れませんでした。

ただ、殆どがそれなりに日本語を喋れる方々だったので、

なんとか、日本語、拙い英語、赤ちゃんレベルの中国語でなんとか

コミュニケーションをとっていました。

 

しかーし、ココは台湾。言語はさておき、

異国の文化を存分に感じながら、働く1年間でした。

(あくまでも個人の感想です。異論、反論は一切受け付けません 笑)

 

前向き

とにかく、前向きなんです。

 

失敗してもへこたれず、前を向いてまたやるんです。

とにかくびっくりしたのは顧客からクレームがあって

散々怒られた翌日、また顧客先に行き、謝罪、代替案の提案などとにかく

スピーディーに対応して、昨日まであんなに怒ってたお客さんとも

タピオカ一緒に飲みながら、談笑してるんです。

タピオカって女子高生が列並んで飲む飲み物じゃないですか!?(偏見)

 

その1週間後には、怒ったことなんてなかったくらい、

お客さんも、営業マンも和気あいあいと話してるんです。

 

昨日は昨日、今日は今日。

昨日の敵は、今日の友

 

だったんです。本当にびっくりしました。

 

国内営業ではなかなかこうは行きません。

ずっとクレームを言われ続け、関係の修復に何年かかったことか。

時には進めていたプロジェクトも破断することもあります。

 

でも台湾ではこうした前向きな姿勢

顧客との関係をうまく保つ秘訣なのかもしれません。

 

やってみる

一回やってみて、駄目だったら他の方法をやってみる。

全力でやって駄目だったら、諦める。

 

とにかくあまり深く考え込まず、すぐさまやってみる。

これに尽きると思います。

 

仕事していて日本の本社では、何十回もやるような打ち合わせ、会議

台湾だと30分の1回の会議で方向性、結論を出します。

 

日系企業だととにかく、定例会議、月次会議など、

これ、意味あるの?

といったような会議がたくさんあると思います。

 

しかし、台湾ではとにかく無駄を省き、面倒を省き、かなり簡潔にまとめ、

資料も30%ぐらいの出来(本社と比べると)で、顧客にプレゼンを行います。

何度も国内でプレゼン資料を作ってきた僕としたら、

フォントのサイズが違う

フォントがそもそも違う

左揃えになっていない

ロゴが入っていない

 

など、たくさん細かな点を、重箱の隅をつつかれてきましたが、

台湾だと全く気にせず、そのまま発表。

僕は

これが、文化の違い!

と思いました。

 

でも大事なのって、本当に外見より中身なんですよね。

 

人は外見が8割なんていう本もありましたが、

実際中身が一番大事で、僕も本質を再度突かれた気がしました。

 

フレンドリー

めちゃめちゃ温かいです。台湾の方々。

どの国の人に対しても、温かく接してくれますし、

英語圏から来た人に対しては、英語で必死で喋ってくれるし、

 

特に日本人の方に対しては、えこひいきレベルで温かいです。

かつて日本が台湾を統治していて、色々ひどいことをしていたにも関わらず、です。

 

日本人というだけで、

お弁当のお肉、少しおまけして多めに入れてくれたり、

道に迷っていたら日本語で道案内してくれたり、

すぐ友達の輪に入れてくたり

などなど。

 

日本人很棒!台日友好!

Rìběn rén hěn bàng! Tái rì yǒuhǎo!
日本人は素晴らしいです! 台湾と日本は親友です!

と、何度言われたことか。 笑

 

それくらい、同じアジアで同じ島国なのに、

こんなにも文化、風習が違うんだと驚いた駐在期間でした。

 

あっという間に1年間の駐在期間は幕を閉じ、

再び本社勤務となることに。

 

コロナを封じ込めていた台湾で、全く不自由無く生活していた

僕に待ち受けていたものは、感染列島の日本。

 

在宅勤務を余儀なくされた僕は、有り余る時間を

自分が将来何をしたいのか、どうなりたいかと問う良いきっかけとなりました。

 

1年間の海外勤務を終えた僕。

再度自分に何をしたいか問いかけ、

 

台湾で國語(中国語)を学び、台湾で働き、台湾でもっと生活してみたい。

台湾をもっと知りたい。

 

でした。

 

そうして、6年間勤めた社会人生活にピリオドを打ち、

2021年2月台湾に移住。

 

現在に至ります。

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