僕が商社を辞めた3つの理由

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resign

大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

本日は仕事を辞めたい、

転職したいと思っている、

悩んでいる方に向けて

どうして僕が会社を辞めたのか、

綴っていきます。

僕は30歳でトータル6年間勤めた商社を退職し

台湾に移住しました。

商社時代のお話は こちら

台湾駐在時代のお話は こちら

 

そんな僕がどうして退職する決断に至ったのか、まとめました。

ただ、ココで言いたいことは僕が辞めた理由の共有だということ。

決して、絶対に辞めたほうが良い!とか、辞めるべき!とか

そういうことを言うつもりは一切ありません。

 

他にやりたいことが見つかった

僕は入社の前から

海外に住み、海外で働き、

現地を知り、現物を見て、現実を知る

という目標を掲げていました。

 

国内採用だった僕は、海外部署に配属されるまで

トータル4年かかりましたが、なんとかアジア部門

台湾担当になり、

夢にまで見た台湾での生活、仕事をすることができました。

 

1年間というあっという間の短い駐在経験でしたが、

日本に帰国した後も漠然と、

まだまだ台湾でやりたいことがある。

でした。

 

それは

台湾でもっと生活し、台湾で働いてみて、

台湾の良さも悪さも存分に味わいたいという好奇心

でした。

 

ただいろんなブログや、すでに台湾移住をしている方々から話を聞くと

台湾は日本の年収の約三分の一程度。

一人で住んで働くなら良いかもしれないが、

結婚して、家族ができて、

子供を養うとなったら、本当に大変だよ

と何度も言われました。

 

でも独り身の僕、

結果、自分の気持には逆らえず、

日本に帰国した2020年10月から約1ヶ月

退職の気持ちを固め、2021年1月をもって退職することに成りました。

勤めている会社で働く意義を見いだせなくなった

僕の目標は海外で生活し、働くこと。

僕はその後のこともきっと、なんとなく、

今いる会社でやりたいことが見つかるだろう、そう思っていました。

 

でも、違いました。

 

駐在を終えた後は、どんなに早くても数年間は

日本から台湾もしくは他のアジア圏を対応するということがほぼ決まっていたため、

海外で働くという選択肢は実現しそうも有りませんでした。

 

この会社で働く意味とは?

毎日考えるようになりました。

確かに福利厚生、給料面など考慮しても、1人で食っていく分には十分ですし、

多分僕が定年退職するまで(定年制度がまだ残っているかは微妙)は

バランスシート、IR、過去からの給与体系システムなどを鑑みても

安定した給料で右肩上がりに上がっては行きそうでした。

 

ただ、

それって僕の人生にとって、

本当に大事なことなのか?

と思う気持ちが強くなっていきました。

 

僕の友達の中でも会社を辞めたことに対して、

退職おめでとう!

と言ってくれる友達や、

辞めたのはちょっともったいないかもね・・・。

と言ってくれる友達もいました。

 

どの友達の言葉も嬉しかったですし、

これから学生、無職になる身分の僕を

心配してくれる友達もいました。

どの友達の言葉も胸に刺さりました。

 

ただ、僕の進路、人生に正解も、不正解も無くて、

友達の送ってくれた言葉にも正解、不正解が無く、

結局、どんなに後悔する結末だったとしても

自分の人生は自分で決めるしか無い

だと思います。

 

ただ辞めるにあたって、理解してくれた父親、母親にはとても感謝していますし、

姉二人も応援してくれて、

退職、おめでとう!

と言ってくれて、嬉しかったです。

 

 将来の自分が想像できてしまった

今の会社の30、40、50、60代をみてみると、

なんとなく自分の将来、自分の未来像が見えてきました。

 

4年目ぐらいから段々と、この会社で働く人達の

傾向が見えてきました。なぜなら僕も徐々に社会での馴染み方

仕事の捌き方を覚えていったからです。

 

1万人を超える会社では、組織で動かなければならず、

特に日系企業ではそれが顕著です。

どんな小さな行動にも係長、課長の承認が必要ですし、

毎日の報告や、1週間で起こった出来事なども課長に報告し、

課長はすべてを把握して置かなければならないからです。

 

これを毎日、毎日繰り返し、夜には思考がままならないほどクタクタになり、

テレビをぼーっと眺めるだけの日々を繰り替えしていきます。

 

それを繰り返し、

気づいたら30代、

気づいたら40代となり、

立場が違えど、

係長になれば、課長に報告、部下の面倒を見て

課長になれば、部長に報告、係長以下の面倒を見る

という組織体系の元、上長という立場での、立ち振舞となります。

 

僕が30代になったら、

僕が40代になったら、

僕が50代になってもきっと同じことをしているでしょう。

 

と思ったら、いても立ってもいられなくなりました。

とても窮屈で、生きづらい

と思ったからです。

 

日本の社会人として思うのは、自分の仕事をうまく運ぶため、

人付き合いは本当に大事で、飲み会の参加、立場が下だと飲み会のアレンジ、

へりくだった表現、先輩への態度、常に笑顔、元気な振る舞いなど

気にする項目がとても多く、自分は耐えられませんでした。

 

もちろんそれが自然にできている人もいれば、

仕事は仕事、プライベートはプライベート

完全に別けられる友達もいて、感心するばかりです。

 

結局僕にとってこの会社で働き続けることが

自分の気持とどんどん離れていき

違和感

が次第に増えていったので、辞めました。

 

あなたも違和感という感覚ありませんか?

とても大事だと思います。

 

皆さんはいかがだったでしょうか。

よかったらコメント欄にメッセージ残していってください。

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