ダメダメ営業マン時代。ハンコってなんで必要なの?

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freshman

大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

見事、上場一部の大手商社の国内営業マンとして、

働くことになった大樹。

本社採用は約30人。

同期は何万人もの就活生の中から、

内定をもらったエリートだらけでした。

入社した際の僕のTOEICの点数は525点(990点満点)

同期はほぼ皆800点超えのエリートたちでした。

中にはTOEIC満点の同期もおり、差は歴然。

心も半ば折れ、一生国内営業かなーとも思っていました。

 

同期の中には、

学生時代に世界を旅した、

親の仕事により海外で生活していた同期が殆どで、

輝かしい経歴ばかり。

一方の僕は、

国内で生まれ、育ち、海外にも行ったこと無いのは

だけでした。

 

そんな同期の中で初めはどのように振る舞えばよいか、分かりませんでしたが、

最初の半年間は研修だったため、研修期間中に仲良くなっていきました。

この半年間は、まだまだ学生気分が抜けない至福のひとときでした。

 

しかし、幸せな時間はあっという間。

いざ仕事が始まると、同期はそれぞれの部署に配属となり

僕も国内営業として、仕事をすることとなりました。

 

いざ初めてみると、右も左も分からないことだらけ。

この判子何?なんで皆忙しそうにしてるの?営業ってそもそも何するの?

お客さん先言って何すればいいの?

という疑問ばかりでした。

 

お客さん先に出す資料、見積書、社内用の資料でも

至るところに自分のハンコが必要で、

えー?ハンコってそもそもなんで必要なんだろう。

と思ってばかりでした。 笑

 

そうです。僕学生時代は、勉強、部活、恋愛と

いわゆるザ・真面目な学生だったのですが、ココは社会。

 

学生と社会人としての立場や振る舞いは全く異なるものでした

 

研修期間中はしょっちゅう話していた同期も

部署が違えば、話す内容、フロアも異なるため、次第に疎遠に。

同じ部署の同期がだけが唯一、立場を分かってくれる仲間でした。

 

今も振り返って思うのは、

最初の2年間は本当に働けない、営業マンだったと思います。

本当に自分で言うのもなんなんですが、新しい環境での順応性の無さ、

立ち回りは極端にできないと思います(空気読むとかその類い)。

 

それに、一度上司に

何度も言っているだろう!

と言われてから、質問するのが怖くなり、

分からないものを分からないままにしておく、

放置しておくこともありました。

 

僕の指導にあってくれった先輩は40歳くらいのベテラン。

新卒の僕とは営業経験も比べ物にならないほどある彼から見た僕は、

使えない、新卒

のレッテルを貼っていたと思います。

 

会社に行っては上司に怒られ、ToDOリストを作らされ、

週末も会社が扱う製品の勉強を行い、メールの処理もし、

嫌だなー、何してんだろう俺・・・。辞めたい・・・。

と思う日々。

 

ただ給料をもらうたびに、

なんとか、今月も乗り切った!

という気持ちでした。

 

しかし2年も経つとだんだん仕事の内容も、捌き方も覚えてきて、次第に一人で回せるように。

上司からの叱責も少しずつ減ってきたのもこの時くらいからでした。

 

国内営業(主に長野県、山梨県)を4年間経験した後、日々の努力と

営業成績も認められ、今後力を入れていくという海外営業部に配属されることに。

 

心の底から

やったー!

でした!

 

何度この4年の間で辞めたいと思ったことか。

それでも、

海外に行けるチャンスがある商社、給料もそこまで悪くないはず・・・

と自分で自分に言い聞かせ、必死で耐えてきたこの4年間でした。

 

くるひもくるひも始発の特急で山梨や長野に行き、

必要によっては出張先で宿泊し、

毎月の受注・売上を会社に報告、

ミスが起これば上司と一緒に謝罪をするなど、

本当に国内営業で良いことも大変なことも経験しました。

 

どちらかというと99:1ぐらいの比率で

大変なことが多かったです。

 

ちなみに僕は

体育会アメフト部としてのやり通せるガッツと、

主務としての事務作業等もできるだろう、

ということから、国内営業としての採用でした。

 

ただ、姉がバックパッカーだった影響もあり、海外で生活、働いてみたかった僕。

国内営業中もなんとか腐らず、週末少しずつ参考書を読み解いて行った結果、

4年目にTOEIC820点をマーク。

(本当に嬉しかった~)

 

語学の努力と、仕事の真面目さも買われ、

同期の中では3番目に早い海外勤務でした。(そこまで早くない)

 

しかし、海外勤務は希望していた欧米、欧州ではなく、

まさかの台湾

最初の印象は、

え?どこですか?

(台湾の方々、本当にすみません。)

 

地理がめっぽう弱い僕は、台湾がどこにあるかも知りませんでした。

部長から

異動しないか?

と言われたその日、2週間後にたまたま月曜日が祭日だったため、

早速空港、ホテルを予約し、2泊3日で台湾に一人旅することに。

 

行ってみるとまさにそこは、ザ・アジア!

街は汚いし、服装は一昔前の昭和みたいな感じ。

(超失礼。ごめんなさい。でも、印象はそうでした。

昭和に生まれたことがないのであくまでも印象)

 

でも、人がとにかく、

温かい!!!

道に迷っても聞いたら、絶対答えてくれるし、何なら案内までしてくれる。

一緒に観光をしてくれる強者もいました。笑

(本当に楽しかったよ~ありがとう~)

 

僕は帰国して即座に部長に、

台湾、行きます!

と返事をし、その後台湾での駐在1年間。

 

この1年間の駐在が僕の人生観を大きく変える出来事となりました。

 

後半に続く → 台湾駐在で学んだ3つのこと(後半)

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