恋愛にうつつを抜かした高校時代

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sakura

大家好。我是大樹。 Dàjiā hǎo. Wǒ shì dàshù.

こんにちは。大樹です。

 

それでは恋愛、バイト、部活と

大忙しな高校時代の幕開けです。

 

都内のプチ進学校に入学。当時の高校偏差値が60~65くらい。

 

絶対に恋愛したかったので、共学の高校に行きたかった大樹。

見事高校1年生のときに、

その後6年間付き合うこととなる彼女ができました。

学校でもよく知られたカップルでした。

 

また、中学校から継続してバレーボール部に入部したものの、

それなりに上手いという自負と、

高校のレベルの低さ(高校からバレーを始める人も多かった)も

相まって相当イキってた大樹。

 

年功序列制度により、背番号をもらえず腹いせに退部

 

高校から始められるスポーツで、ハンドボールか

アメリカンフットボールか迷った末、

なんとなくかっこいいアメリカンフットボール部に入部。

これもまた人生の大きな転機となる・・・!

 

人生って本当にその場その場の決意、決断で

また、大きく変わっていくと思います!

だから人生は面白い・・・!

 

最初の1年間はルールを全く知らないまま、とりあえず試合に出てずっと立ってました。笑

 

なにせ、うちの高校は名のしれた弱小校。

強豪校は50人以上も部員がいるにも関わらず、うちは15人

 

攻守交代がいくらでもできるアメフトは人数が多ければ多いほど有利なスポーツで

僕らは試合中、永遠と走り続けていました。

 

その後、ほぼ毎日あるしんどい練習をこなし、高3では

またしても、キャプテンに任命。

荒れ狂う部員たちをなんとかいなしていました。

 

(学校で鍋パーティーをしたり、

禁止されている原チャリ登校したりなど、

本当に、話せばきりがない・・・!笑)

 

ラーメン屋で2年間、アルバイトも経験。

当時時給が750円から800円位で、一番最初にもらった

給料の2万円が泣けるほど嬉しかったことを覚えています。

 

仲の良い軽音楽部の友達のライブにもよく行ってました。

500円の入場料で2時間くらい学生が繰り広げるライブを

見て生の演奏って面白い!と思うようになりました。

 

しかし、勉強面では中学のときほど頑張らず、中学のノリで勉強してみるも、

成績はあれよあれよとガタ落ち。最終的にはクラス40人中35位くらいでした。

 

高3時の遅刻が一年で50回くらい。

これでも成績が悪い友達の中では、良い方でした。笑

 

中学時代得意だった勉強も高校では、後かけらもなく、

受験前の半年間死ぬ気で勉強した甲斐虚しく、

大学受験全オチした大樹は、浪人することに。

 

親へは

「大学、MARCH以上しか行く気ないから」

偏差値45しかないのに、

よく威張ってたなと、思います。

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